「真実はいつもひとつ!」ではない。
3歩目でノバブラスト(NOVABLAST)という爆速シューズに振り回され、あえなく散った私。あのシューズの跳ねるような推進力は確かに魅力的だったが、今の膝の痛みという現実から目を逸らすわけにはいかない。半年後のフルマラソン完走という目標に向け、私はランニング界の「知識」という名の沼へ、自ら飛び込むことにした。
「意識」という名のマルチタスク、脳がパンクする
YouTubeを開けば、ランニングフォームの教科書が無限に溢れている。
- 頭のてっぺんを糸で吊るされる感覚で…
- 骨盤を前傾させて、腰高の姿勢をキープ…
- 猫背は絶対ダメ、胸を張って。でも、腰を反らせるのもNG。
- 「体の真下で足をつけ」
……待ってくれ、多すぎる。 いざ走り出すと、これらをすべて同時に意識しなければならないという「マルチタスクの地獄」が待っていた。知識を詰め込めば詰め込むほど、野生の勘で走れていたはずの身体が、まるで壊れたロボットのようにギクシャクしていく。今や私のランニングは、走ることよりも「フォームの修正」に脳のリソースを全振りしているような状態だ。
ケイデンスという名の「魔法のリズム」
そんな中で、救世主のように現れたのが「ケイデンス(ピッチ)」という概念だ。 ランニング界では、1分間の歩数をケイデンスと呼び、多くの先達が「180bpm(毎分180拍)」を目指せと推奨している。しかし、やってみてわかった。キロ9分のイージーペースにおいて180bpmを刻むのは、もはやランニングではなく「小刻みに震えながら進んでいる人」でしかない。足が忙しすぎて、呼吸やフォームを意識する余裕がない。
そこで私は、自分なりの最適解を探すことにした。結果、今の私のペースなら「165〜170」あたりが一番しっくりくる。
このケイデンス管理で大きな収穫があった。意識的にピッチを上げると、強制的にストライド(歩幅)が狭くなるのだ。 低bpmでは大股で前方遠くにかかとから足を叩きつける形になりがちだ。一方、細かなピッチにすることで歩幅が小さくなるだけでなく、接地場所を母指球あたりに持ってくることが容易になる。明らかに膝への衝撃が小さくなり、「これなら膝に優しく走れる」という手応えを初めて感じた。
この管理を劇的に楽にしてくれるのが「音楽」だ。Spotifyを覗けば、「170 BPM」といった具合に、ケイデンスごとのプレイリストが山ほどある。リズムに合わせて足を運ぶだけで、頭で考えなくても自動的にピッチが刻まれる。これはまるで、プロのコーチが耳元で拍子をとってくれているような安心感だ。
接地の迷宮と、重心移動の光
ケイデンスを上げると膝への衝撃が小さくなることは分かった。しかし、もう一つ悩ましいのが「足のどこで接地するか」という問題だ。
ランニング界隈を覗けば、「フォアフット(つま先寄り)」「ミッドフット(足裏全体)」「ヒールストライク(踵)」と、接地に関する説もまた乱立している。動画を見れば「フォアフットこそが速い人の証!」という熱い主張もあれば、「初心者が真似するとアキレス腱を痛める」という警告もある。
…結局、どこで着けばいいんだよ!
今の私のレベルでは、つま先で着地するフォアフットは明らかに荷が重い。かといって、衝撃の大きい踵着地(ヒールストライク)は膝に悪いのでほぼ誰も推奨していない。となると、足裏全体でフラットに捉える「ミッドフット」あたりが、今の私の体には一番優しくて合っていそうだ。足裏の外側が良いのか内側が良いのか、その微細な感覚はまだ霧の中だが、まずは「踵からドスンと着かない」ことだけを徹底することにした。
そんな試行錯誤を繰り返すうちに、パズルのピースが噛み合う瞬間があった。ずっと前に進むために「足で地面を蹴る」ことばかり考えていたけれど、そうではなくて、正しい順番はこうなんじゃないか。
身体を前傾させる → 重心が前方に移動する → その重心の真下に足を持ってくる
この瞬間、誰もが呪文のように唱えていた「前傾せよ、体の真下に足をつけ、足の真ん中で接地せよ、ケイデンスを上げろ」という宗教じみた教えの意味が、肉体レベルで理解できた気がした。前傾によって重心が移動し、その移動した重心の真下へミッドフットで着地する。先述の通り、このミッドフット接地にはハイケイデンスが実に都合がいい。これら呪文はそれぞれが独立したピースではなく、全てが揃って初めて絵になるパズルのようなものなのではないか。
……ただ、これを再びノバブラストで試すと困ったことが起きる。重心を少し傾けただけで、あの爆発的な反発力が働き私の想像を超えて加速してしまうのだ。「ちょっと重心を前に」と思っただけなのに、シューズが「もっと行け!」とばかりに背中(足裏)を激しくプッシュしてくる。 いや今はそこまで加速したくないんよ、空気読んで!
迷宮の入り口で立ち尽くし、そして呟く
私は今、ランニングフォームという名の迷宮の入り口に立った段階だ。
前述の「前傾」「ハイケイデンス」「真下着地」「ミッドフット接地」は基本中の基本であって、他にも気を付けるべき点がこれから山ほど出てくるだろう。その中で情報を取捨選択し、自分用に微修正をかけて最適化していくプロセスが必要になろう。すべてが噛み合う最終形態になる日はきっと来ない。即ちこの迷宮に出口はないのだ。この中で存分に迷い、正解を見つける過程を楽しもうと思う。
知識の鎧を着込んでバランスを崩した私は、また不格好に一歩を踏み出す。そして、いつものあの言葉を呟くのだ。
……あ、また膝が痛い。



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